vocanoha

合成音声の音楽に、言の葉を捧ぐ:詩的なボカロ曲レビューサイト

m.tomi「いつか」


ここではないどこかへと空想を誘う、民族調のエレクトロニカだ。それはファンタジックというよりも、逝きし代の精神世界への憧憬とでも言うべきであろうか。しかし継ぎはぎされた過去のモザイクは、同時に無意識の未来でもあるかもしれない。まったく内面へのトリップとは、時間軸に拘束されないものだ。その意味でのイノセンスであろう。(utakiki)


mochy「ユタ」


すべての悔恨をあらい流してゆくような、爽やかなギターポップだ。ここにある孤独な人間が、それでも世界に生きようとするとき、他者としての声が必要になることがある。なにがあっても、僕はキミの味方だよとささやいてくれるような。自意識のない合成音声の歌声は、それを投影するできあいのスクリーンだ。これも自分ともう一人の自分の歌なのだろう。(utakiki)


Sebon「涼しさ」


どことなくフュージョンの調子のある、淡くもダウナーなポップスだ。こんなモノクロの世界で、ばらばらになってしまった。いまさらに思い知ったのは、君が存在してこその、僕であったということ。しかし君にとってはどうなんだ。つのってゆく不安と疑心。そしてどこからか風が、涼しく身体を吹き抜けてゆく。平静を装いながらも、内面から狂ってゆくような音楽であろうか。(utakiki)


神尾けい「ゲルマニウムの夢」


鉱石のように美しい、ポストロックの歌ものである。芸術の求道のはたてにあるものが、インターネットに投影された怪物であったとしても、そこにすべてを捧げてやる。さあ美味しく僕を喰らってくれ。そして僕はお前の夢となるだろう。それは希望ではないが、かといって絶望でもない。ただそうあるものと知りながら、いまを踊っているだけなのだ…… そんな音楽であろうか。(utakiki)


gunyo「箱舟」


どこまでも軽やかにリズミカルなポップチューンだ。まだ空想でしかない恋の予感。それをいまに成就しても不思議でないと信じきっている、あの無邪気な感覚。まだ運命の分かれ目とまでゆかない、一歩手前のゆるふわがひたすらに心地よい。例えばバスルームで膝を抱きながら、ふとためいきを漏らしてしまうような。ひとりぼっちの湯舟にて。(utakiki)